オタク的視点からの『シン・ゴジラ』の極私的探求【ネタバレ含む】
公開から一ヶ月が過ぎ、そろそろネタバレもOKなんじゃね? とも思うのだけれどそこはシネフィルなりの配慮ということでネタバレを目にしたくない方もいると思われるので念のため明記しときましょう。
てことで今回はハナからネタバレを書く可能性もあるのでご容赦。
さて前回エントリではけっこう真面目モードで書いたんですが、あンまり真面目くさってても仕方がない。
そんなわけで、ちょっと視点を変えあくまでもオタク目線から『シン・ゴジラ』を眺めてみたいと思います。
『シン・ゴジラ』が公開されてから、なんだかこれまで怪獣映画や特撮モノに一切興味も持ったことの無さそうな御仁らが偉そうに判ったふうなコトを上から目線で論じてるのが大挙して雨後のタケノコの如くうじゃらうじゃらと湧いてきて面食らったのだけれど、
正直巷でドヤ顔で語られている「危機管理ガー」だの「震災後ガー」なんてちゃんちゃら可笑しくって嘲笑うしかないのである。
なので、そんなことはここでは一行だって書かないし書くつもりもないのでそのつもりで頼む。
■オタク第一・第二世代の原風景としての「特撮」
総監督の庵野秀明、また監督を担った樋口真嗣を含む、俺たち昭和30年代のオタク第一~第二世代がいったいなぜこれほどまでに『シン・ゴジラ』を礼賛し、熱狂的に支持するのか。
それは、この『シン・ゴジラ』という作品がまさに待ちに待った「俺たちの求め続けてきたもの」だったからだ。
もともとオタク第一第二世代は物心ついたときには家にTVがあり、白黒画面で『ウルトラQ』『ウルトラマン』を見てきた。
事実、筆者は幼稚園に上がる前に母が与えた「怪獣図鑑」でひらがなカタカナをすべて覚えた。生まれたときから怪獣の洗礼を受けた世代だ。
もちろん『鉄腕アトム』『鉄人28号』を始祖とするアニメ-当時で言うところの「まんが映画」もあったがここではその系譜はちょっと脇に置いとく。
ここからはじまる主に円谷プロを主軸とした特撮作品は、’70年代には爆発的なブームとなりTVチャンネルを席巻する。同時刻に円谷の『ミラーマン』と、そこから別れたスタッフの作る『シルバー仮面』がぶつかり、小学校では翌日のクラスの話題を二分した。
ミラーマンとシルバー仮面は作風を映すかのように光と影になった
もちろん同時に夏休みには映画館で「東宝チャンピオンまつり」でゴジラがスクリーンで暴れ回る。
だが成長するにつれ、幼き瞳で見ていたものは色褪せ、見えていなかった別の風景が澄んだ記憶を濁らせていく。
背の伸びと共に知識を得るに従い稚拙な設定や雑さのほうに目がいき始め、白けるようになっていってしまった。
■「お子様ランチ」的特撮映画への不満
けれど、それは受け手である我々の目が肥えたというだけが理由ではなかったと思う。
殊に東宝円谷特撮映画は、’60年代こそ大人の目線で物語が作られていたものの、次第に子供受けの低俗な中身へと変貌していった。
それは、たとえば『キングコング対ゴジラ』の主人公たちがサラリーマンで会社の命令でキングコングを探しに行ったり、『モスラ対ゴジラ』でも大人の物語と、あくまでも”大人”が中心(実際キンゴジには子供の主要キャラクターは登場しない)だったことでも自明なのだが、ガバラが登場する『オール怪獣大進撃』あたりから『ゴジラ対メガロ』あたりに至るまで、主要な登場人物は子供が中心となってしまっている。
ゴジラはラドンやモスラたちと会話をし、シェーのポーズまで披露する。
小学生の時分にはそうしたものも楽しませてくれる要素であった。
だが、そんな子供だましを、思春期を迎えた我々はもはや享受できなくなってしまっていた。
次第に大人としての視点を獲得しつつあった我々にとって、怪獣映画はだんだんチープなおもちゃや旗を並べたお子様ランチとしか見られなくなっていってしまった。
そうした中、ゴジラは’75年の『メカゴジラの逆襲』でシリーズの終焉を迎える。
ブラウン管の中では『ウルトラマン』から続く空想特撮シリーズが『ウルトラマンレオ』で同じ’75年に終わりを迎えたのは偶然ではないだろう。
興収や視聴率の問題のみではなく、それは、幼少時から子守唄の代わりにゴジラを観続けてきた第一第二オタク世代達からの「卒業」という見限りでもあった、と思う。
■失われた「特撮怪獣映画の9年」
特撮大好きだったかつてのクソガキ共が思春期を迎えたとき、幼き頃にションベンちびらせながら胸熱くさせた特撮の世界観に『?』を抱き始めた。
「俺たちの熱中して見てたアレって、科学的におかしくね?」と。
たとえば怪獣図鑑などに載っているウルトラマンの体重を見て
「この重さだと足の裏の表面積が××だから、それに面する地面にかかる荷重は…」とか、
「この体重をウルトラマンの体積で割ると、比重的にウルトラマンは重金属でできているとしか考えられない」
「マッハ2.5(3や5という異説あり)で飛ぶウルトラマンは地球に来るためにM78星雲を何年前に出発しなければならないか」
なんてことを仮想ゲームとして楽しんだ。
そうした検証ごっこを自分なんかも高校時代部活で楽しんでたし、
(ちなみに天文研である)
後にこうしたゲームを内輪で愉しんでいた輩は特撮映画を科学的に検証するスレた大人になり、『ウルトラマン研究序説』といった類の研究本を生み出していく。
東宝&円谷がゴジラを作らなかった9年間、ハリウッドからは『スターウォーズ』『未知との遭遇』を筆頭にSFX映画が怒涛の如く流入してきたが、我々の中ではかつての日本特撮へのアラ探しとツッコミが蔓延していった。
その行為は、正しい科学考証に基づいた物語を求めるのと同時に、特撮への枯渇感の裏返しだったのかもしれない。
後にガイナックスを立ち上げるダイコンフィルムが大阪で産声を上げたのはそんな’82年のことだった。
そんな低迷を打ち破って、ニュースが駆け巡る。
時に1984年。
待ちに待った、ゴジラが復活するという報に我々の心は踊った。少しだけ。
■復活と焦燥の平成ゴジラ
『ゴジラ』(1984年)に先立ち東宝は鳴り物入りでSF大作『さよならジュピター』を世に送り出したが、既にハリウッドSF映画に目が肥えた我々の溜飲を下げることはなく、更なる鬱屈を溜めるだけだった。
嘲笑と揶揄を込めて「さよならジュピター、またきてゴジラ」と囁かれた。
ゴジラは平成vsシリーズへと雪崩れ込んでいったが、新作のたびにオタク者達にはフラストレーションが蓄積しまくった。
正直、個人的には『vsビオランテ』はそれなりにおもしろかったと思ってる。
けれど、以後はホントにSFマインドのカケラもない破綻したストーリーを延々とvsシリーズはタレ流し続け、観るたびに憤懣やるかたない思いが募った。
殊に『vsキングギドラ』に至っては、タイムトラベルテーマに必須のベーシックな約束事さえ踏襲されておらず完全に設定が破綻していた。
科学的にどう考えてもおかしい「抗核バクテリア」なんてものを未練がましく使い続けてるのにも理解し難かった。
「こんなのを特撮映画に求めてたんじゃない」と憤った。
超兵器スーパーXの投入も、更なる焦燥感を重ねるだけだった。
■東宝自衛隊空想科学兵器のジレンマ
とはいえゴジラに登場するファンタジーのすべてを否定するということでもない。
大概の第一第二世代のオタクにとって、空想科学超兵器において
「メーサー車はいい。だがスーパーXは許容しがたい」
と忸怩たる思いを抱いてるのではないだろうか。
東宝シリーズ フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ 66式メーサー殺獣光線車 全長約21cm 1/87スケール プラモデル TO008
我々の世代は、小学生の時分に東宝チャンピオンまつりの洗礼を受けて、いやってほどゴジラ映画を吸収し、もはや体液が円谷特撮お馴染みの東宝プールの海水が流れている。
そうした幼児体験で、自衛隊と云えばメーサー車を配備する「東宝自衛隊」がデフォルトで脳に刷り込まれている。
では何故メーサー車はOKで、スーパーXはNGなのか。
単純に言って、カッコいいかどうかが筆頭にあるとは思うけれど、
現行兵器の中に混じって違和感があるかどうか、が大きな要因ではないかと思う。
メーサー車はデザインといい自衛隊の通常兵力の中に配備されていても違和感のないメカデザインだと思う。
こういったことが”リアリズム”を生む。
我々はもともとSFマインドも科学的関心や思考も、すべて東宝円谷ブランドを中心とした特撮作品から開眼させられていった。
だが、思春期を迎え、その肝心の東宝特撮、とりわけその雄であるゴジラが我々と共に成熟をしていってくれなかったのだ。
そこに乖離が生まれた。
■DAICON FILMの狼煙
大阪のSF好きな学生アマチュア集団がSF大会に「DAICON FILM」の名目で自主映画を引っ提げ登場したとき、同世代のSFマニアたちが諸手を挙げて大喝采したのは、これまで書いてきたような積もり積もった憤懣の溜飲を下げてくれた、という思いが強かったからだろう。
そこには、生を受けてからメディアのシャワーを浴びてきた中で溜まった「そうぢゃないんだ」「俺たちが本当に見たいものは違うんだ」というフラストレーションがこの作品で爆発し、”我々が本当に求めていた理想郷”が暗雲の中から現出した姿だった。
※DAICON FILMについての詳しい説明はここでは省くんで、ググるかこのリンクを参照してくれ。
バナーはのーてんきこと武田康廣氏の勇姿。かつてガイナックスが吉祥寺に構えてた頃、社に向かう階段を見下ろすようにバイクにまたがる怪傑のーてんきの特大パネルが飾られてたっけ…
あるいはこの漫画がいちばん参考になる。(あえて説明はしない!)
■「俺たち」の特撮映画の復権
平成ゴジラシリーズに対してひたすら抱いていた不満は、「SFマインドもリアリティもない」ということだったのではないかと思う。
物語世界の整合性、と言い換えもできるかもしれない。
少なくとも平成のvsゴジラシリーズにそういったものを画面から伺うことは個人的にはできなかった。
子供、というか観客をナメているとしか思えない。
ずっとそんな思いを抱いていた。
日本のメジャー側には、もはやSF的思考のできる制作者はいなくなった、という絶望感をひたすら上塗りさせられ続けるだけだった。
そうした中で上意下達ではなく”我々の世代”から創られた嚆矢が平成ガメラだったのではないか、と筆者は見ている。
平成ガメラでは脚本・伊藤和典、特技監督・樋口真嗣と、これまでの年功序列的悪癖を破ってアニメ界の才能を徴用した。
伊藤はこれ以前に押井守と組み『パトレイバー2 the Movie』で既にシミュレーションとしての戦争/自衛隊の戒厳令出動を描いていた。
機動警察パトレイバー2 the Movie [Blu-ray]
それは、日本のメジャー特撮に忸怩たる思いを抱きながらアニメへと流れていっていたた武士(もののふ)たちの、意趣返しであったと思う。
樋口真嗣は、あのダイコンフィルムの一員だった。
その樋口氏が最初にDAICONに参加したのが、『八岐之大蛇の逆襲』という作品だ。
いま見返せば『八岐之大蛇~』は’80年代的ケーハク風味に仕上がってるけれど、『シン・ゴジラ』やそれを遡ること10年前に公開された『平成ガメラ』で描かれた「自衛隊vs怪獣」の萌芽はこの作品でも垣間見える。
そう、安直でご都合主義の浮世離れした超兵器など要らない。
我々の求めていたのはただこれだけだ。
“自衛隊が怪獣とガチバトルしたら正直どやねん??”
ただひたすら「現行の軍隊と怪獣との対決」であって、
ただひたすらにやりたかったであろうコトは、世間に流布されている知ったかで語るおためごかしなぞ単なる承認欲求の手段にすぎない。
もっともっと、オタクの先頭走者たちがいったい何を欲し、何を事故表現したかったのかを掘り下げていってもらわなければ、『シン・ゴジラ』がなぜ生まれたのかを見間違えてしまうと思う。
科学考証と共に、現実の地続きに在るような辻褄の合ったリアリティを我々は欲していた。
同世代のオタク寄りの表現者たちがいかに怪獣映画にリアリティを欲していたのかの一例として、むらかわみちお『ジェーン』という作品がある。
還相―むらかわみちお作品集
※たしかこの著書に収録されていたハズ。
むらかわみちお氏は今は『宇宙戦艦ヤマト2199』のコミカライズ等に関わることで有名だが、デビュー当時は美少女系コミックの描き手だった。
その氏の短編『ジェーン』では、出現したゴジラを”自然災害”と捉え、台風のような予測ルートや警戒の呼びかけ、政府や首相の動きなどが描かれる。
怪獣をこのように「天災」とする捉え方は後の平成ガメラ以降顕著になり、『シン・ゴジラ』へと踏襲されていく。
ちなみにむらかわ氏もまた(たしか)’64年(昭和39年)生まれだ。
いかに昭和30年代に生を受けたオタクたちがこうした共同幻想を求めていたのか、よくわかる話だと思う。
じっさい、庵野総監督や樋口監督たちのやりたかったコトなんて、彼らが学生時代(樋口氏に至っては高校生だ!)に8mmフィルムカメラを抱えてせっせと空地で撮ってた自主映画から1ミリだって変わっちゃいないのだ。
■「蒲田くん」と八岐之大蛇
『シン・ゴジラ』で一躍人気者になったのが通称「蒲田くん」こと”第二形態”だ。
今回監督を務めた樋口真嗣氏が初めてDAICONに参加した作品が『八岐之大蛇の逆襲』であると先に述べたが、
実はこの『八岐之大蛇の逆襲』に出てくる怪獣・ヤマタノオロチのムーヴが今回の『シン・ゴジラ』の”蒲田くん”こと第二形態の動きに酷似している。
いわゆる「蒲田くん」、第二形態で巨大不明生物は上陸するが、このときの這い回って街を破壊していくさまが、上記のヤマタノオロチの動きと瓜二つなのだ。
(下)第二形態「蒲田くん」はこんな体勢で腹ばいになって進撃する
ひょっとしたら、樋口監督なりの『八岐之大蛇の逆襲』へのオマージュなのかな? と見ながら思っていたんだが…
更に奥深い裏があったようだ。
後にツイッターなどネット上で「『シン・ゴジラ』はある日本神話を下敷きにしている」といった説がチラホラと挙がり始めた。
それに依ると、『シン・ゴジラ』は「ヤマトタケルの八岐之大蛇退治」をベースにしているという。
●『シン・ゴジラ』に関する日本神話とのつながりに言及されたtwitterのつぶやき(リンク)
※埋め込みは控えますが、名解釈だと思います。
第二形態の動きが『八岐之大蛇の逆襲』を連想させたのは、やはり何らかの繋がりを暗喩した演出だったのかもしれないと思うのだがどうだろうか。
もし関心を抱いたなら、Youtubeやニコニコ動画あたりを探せばどっかに本編が転がってるハズ。
非公式の違法アップロードと思われるので直リンはしないけど。
『八岐之大蛇の逆襲』では庵野秀明はメインスタッフとしてクレジットされていないが、それに先立ってDAICONで製作された8mm大作『帰ってきたウルトラマン』で庵野は監督を務めた。
そのDAICON FILM で庵野秀明が監督した『帰ってきたウルトラマン MATアロー1号発進命令』では既にカメラワーク・構図で庵野スタイルが確立している。
特に冒頭の少女がランドセルを背負って木戸を開け、通りに出てくるまでのカット割は、改めて見てみれば『エヴァ』の演出そのものだ。
パースを強調し奥行きを出した構図など。(以上3葉はDAICON『帰ってきたウルトラマン』より)
正直、凄いと思う。
庵野秀明 実写映画作品集 1998-2004 [Blu-ray] ついに庵野版『帰マン』がブルーレイに!
庵野&樋口という、ファンムービーを牽引したダイコンフィルムの朋友のタッグ。
実のところ『シン・ゴジラ』本編が始まったとき、かの東宝マークよりも何よりも「なんで DAICON ロゴが入ってないん!?」とふと思ってしまった。
この世に生を受け、オタク街道を走り続けて半世紀が過ぎ、
第一第二オタク世代はようやく自らの手で、本当に自分たちが見たかった怪獣映画を世に出すに至ったのだ。
『シン・ゴジラ』は、かつてファンであったオタク連中がついにメジャーに楔を打ち込んだ偉大な作品なのだ、と思う。
■オタク50年の呪縛を解く『シン・ゴジラ』
『シン・ゴジラ』のような、かつての熱狂的ファン=オタクが彼らの作りたいように作らせる、という形は、既にハリウッドでは常態化している。
『スタートレック』を経てついに念願の『スターウォーズ』本編に手が届いたJJエイブラムス。
また(エメリッヒ版のトラウマを覆し)大絶賛された『GODZILLA』を創造したギャレス・エドワーズ。
才能を認め、インディーからいきなり超大作を任される流れができている。
こうした動きは、日本も本来なら20年ほど前に実現されて然るべきだったのだ。
にも拘らず2016年の現在にまで遅れてしまったのは、ひとえに日本の年功序列という悪習や、「大作(というかそれに費やす金)をどこの馬の骨とも判らぬヤツには任せられない」という固い考えのせいだろう。
ならばとハリウッドに丸投げすれば巨大イグアナの映画を撮られてしまう。
ゴジラはそんな旧態依然の日本式システムの犠牲者だった。
あえてここで「庵野版ゴジラ」と言い換えるけど、
(そう、これはあくまでも庵野秀明の創ったゴジラ映画なのだ)
庵野ゴジラは、こんな我々オタクが50年に亘って抱いてきた、膿のように溜まったフラストレーションが一気に爆発しエネルギーを開放した象徴だろうと思う。
■チェーン・リアクション
『シン・ゴジラ』とはフラストレーションの爆発である、と書いた。
いままさに制御棒が外され、臨界へと達した。それが『シン・ゴジラ』だ。
ならば、この『シン・ゴジラ』から、次々と連鎖反応が起きてくることを期待する。
ほどなく北米でもこの『シン・ゴジラ』がスクリーンで見られることになるという報せがウェブに流れている。
●「シン・ゴジラ」英語版タイトルは「Shin Godzilla」10月に北米440スクリーン超で限定公開-アニメーションビジネス・ジャーナル
タイトルは『Shin Godzilla』となったらしいけれど、
個人的には「シン」は「Sin」=原罪を意味するワードにしたほうがいいのにナ、と思ったのだがどうだろうか。
何はともあれ、これからいよいよ庵野ゴジラが世界を巡る。
日本のオタクの底力をぜひとも魅せつけて欲しい、と筆者は願っている。
いや、自分だけではない。
これは、オタク第一・第二世代の希望でもあるのだ。
ンで、実は『シンゴジ』公開を遡ることひと月ほど前、『キングコング対ゴジラ』の完全版4K上映会に当選、観賞の機会を筆者は得ることができたので、
遅まきながらそのことについて近いうちにリポートもしてみます。
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